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悪態をつく人の9つの心理と付き合い方

悪態をつく

嫌なことがあったり、うまくいかなかったり。そんなときについつい出てしまうのが愚痴や悪口です。

たまに言ったり、聞いたりする分には、適度なストレス発散になるものですが・・・いますよね? 口を開けば誰かの悪口を言っているような人。ネガティブな言動は、意識、無意識に関わらず、相手の気力や活力を根こそぎ削り取っていくものです。

今回は、一体、なぜ、人は悪口を言ってしまうのか? 常に口にしている人はいったいどんな心理状況なのか? そして、悪口の輪に巻き込まれた時、自分が悪口を言われてしまった時の対処法などをご紹介します。

人のフリ見て我がフリ直せ。

自分に思い当たる節はないか、この機会にちょっと振り返ってみてくださいね。

人は、なぜ悪口を言うのでしょう

悪口は、言う方も聞く方もあまり気分がよくありませんよね。なのにどうして、人は悪口を言ってしまうのでしょう。その理由を心理学の見地から解き明かしてみましょう。

人間は、自分の信念や現在に至るまでの行動内容と矛盾する、または否定される『事実』を突きつけられると『不快な感情』を味わいます。

この不快な感情や嫌悪感を解消するべく、自分の今までの信念や言動と、新たに得た事実のどちらかを否定しようという思考が働くのです。これを『認知的不協和』といいます。

そして、自分の信念を変えることが困難だと判断した場合は、人は往々にして『新しく得た事実』を否定しようとします。

よく例としてあげられるのが『タバコ』です。

「タバコは体に悪い」という「事実(=新しく得た事実)」をつきつけられても、その「依存性から、なかなかやめるのが困難(=自分の今までの言動や信念が変えられない)」です。

こういった場合、人の心はどう動くか。

「タバコを吸っていても、長寿の人だっているじゃないか」「肺がんよりも、交通事故で死亡する確率の方が高いんだから」といった反論をもって、自分を正当化しようとします。

これはあくまでも一例で、禁煙喫煙の是非を結論付けるものではありませんが、客観的視点で見ると、論理として成立していないように思えることでも、当人にとっては『正論』として成立してしまっている可能性があります。

そして、この『認知的不協和』は、当人の信念の強さに比例します。

自分の言動にプライドをもち、己の信念に基づいて過去を生きてきた人ほど、否定された時には『強烈な不快感』を味わいます。

『仕事一辺倒で家庭を顧みず生きてきた人が、家庭第一で仕事を調整する人に言いようのない不快感を覚える』

『宗教の熱心な信者が無神論や否定論を聞かされるとついカッとなる』

といった事例も認知的不協和が引き起こす反応といえます。過去は変えることができません。ならば、『新しく得た事実』を否定しないとプライドが保てないのです。

ちなみに、悪口に同調する人はどんな心理状態なのか。

これはずばり、『同調することによって自分の認知的不協和を軽減したい』という一言に尽きます。同時に、その場に加わることによって「自分だけじゃない」という安心感も得ることができます。これもまた、人間が持つ自己防衛心のなせる業、と言えるでしょう。

かの教育者に学ぶ、『悪態をつく9つの心理』

悪口のメカニズムを把握しました。今度は『どういった目的があって』悪口を言ってしまうのかを学びましょう。

日本の教育学者、新渡戸稲造(五千円札の、と聞いた方がピンとくるのは筆者だけではないのでは?)の名著『運命を拓きゆく者へ』(実業之日本社/刊)よりご紹介します。

『冗談として』悪気がない、という無邪気な悪気

当人に悪気はなくても、軽口同然の言葉が相手にとっては嫌味に聞こえたり、誤解を招いたりということがあります。

「冗談のつもり」でなにもかもが許される道理はありません。自覚がないまま加害者になる前に、言葉に出す前に口にして良い事柄かどうかを一瞬でも考える癖をつけましょう。

『性格の違いから』わからないものに対する警戒心

すべての人と分かり合えれば問題ありませんが、えてしてそうはいかないもの。どう努力しても理解しあえない、性格が違いすぎてついていけない、という人は存在するものです。そのこと自体はけして悪くありませんが、はなから攻撃や排除の対象としてしまうのはいただけません。

違いを持つ人とうまく協力し合うことで互いの視野や思考の幅が広がるというメリットもあると考えてみましょう。

『主義の違いから』人の数だけ主義主張は存在する

主義の違いによって悪口雑言が生まれることもあります。

これは性格の違いとは似てまったく異なるもの。性格が違っていても主義が同じなら手を組むことも十分に可能ですが、例え性格が似ていても主義が違っているとなると、そこを越えて理解しあうというのはなかなか難しくなります。政治や宗教の世界が良い例でしょう。

『社会をよくするために』……大儀名分?

宗教家や教育者などが時折使うのが「社会をよくするため」「正当性を示すため」相手を定めて短所をあげつらったり、内部を暴きたてるという手段。

真実を暴くという名目で声高らかに話している姿を目にすることも多いでしょう。しかしそれが本当に真実か、それとも相手を貶めるために針小棒大に言っているだけなのか、聞く側としては冷静に判断しなくてはいけません。

『負け犬の遠吠えとして』自分を守るための防衛本能

相手が自分より上位と認めざるを得ない、自分の名誉を傷つける危険性が生じた場合、人間は相手という脅威を自分から遠ざけ身を守ろうとする心理が働きます。

これは、弱い犬が強そうな犬を見ると、吠えたり唸ったりするのと同じ理屈と言えます。

『他と比較するゆえに』コンプレックスの裏返し

他人の性格などが妙に鼻につく、といった理由から悪口が出てしまう、という状況においてその深層心理を探っていくと、往々にして自分と他者を比較し優越感に浸りたいケースや、自分のコンプレックスや抱えている欠点などを相手に投影しているケースが見受けられます。

こういった悪口を言う人には『自分が隠している部分を暴き立てられ腹が立つ』もしくは『自己を護りたい』『自分は完璧であり、他人は一段劣っている』という気持ちが根底にあるため、他者から敬遠されがちになってしまいます。

『利益を得るために』他人の不幸は蜜の味

自分が利益を得るために悪口や噂話を拡散するケースがあります。

一部の新聞や雑誌などが、部数獲得のために他人の悪口まがいの噂話を掲載し、そして実際にゴシップに飛びつく読者がいるという現実がすべてを物語っていますね。

『人を倒すための悪口』ついつい荒探ししてしまう、人間の性

人が倒れ、貶められるのを見て優越感に浸るための悪口も、金銭的な利益を得るための悪口と同様性質の悪いものです。し

かし評判のいい人や社会的に認められている人たちに対してついつい欠点を探しケチをつけたがる傾向は、多かれ少なかれどんな人にも備わっているものです。

『自分が取って変わるために』他者を蹴落とすための手段

ただ人を貶めるだけではなく、あわよくばその位置に取って代わる手段としての悪口もありますが、これもまた性質の悪いものです。

政治の世界から恋愛関係において、こういった悪口も巷には溢れかえっていますね。

いかがでしょうか。一口に「悪口」といってもその背景にはこれだけの心の動きや計算が蠢いているのです。思い当たる節はありましたか?

悪口への具体的対処法、教えます

もし悪口を言っている現場に居合わせてしまったら。もしくは、自分が悪口を言われてしまったら。そんな時の対処法をご紹介します。

『悪口の場に居合わせることになったら』

大人数の場合は、とりあえず積極的に口を挟むのは避けましょう。かといってあからさまにその場からフェイドアウトすると今度は自分が対象にされかねません。

話を聞きつつ、相槌を求められたら曖昧な言葉でぼかすのが良いでしょう。「そうなんだ、ふーん」くらいで構いません。下手に「そうですね」と返したり、突っ込んだ質問などしてしまうと当事者扱いされてしまいます。

少人数の場ならうまく話題を変えてしまうのも一つの手ですが、無理をすると不自然さが残ってしまうので気をつけて。質問を受けたり同意を求められたら「よくわからない」で乗りきるのも有効ですよ。

『悪口を言われてしまったら』

凹むのは当然です。ですが気にするなといわれても無理な話ですよね。人気のないところで思いっきりストレス発散してください。

とはいえ言われっぱなしは悔しいもの。災い転じて福と成す。どうせなら、言われた悪口を活かしてしまいましょう。

言われた悪口をちょっと冷静に、客観的に見てみましょう。

それは自分の弱点や欠点を指摘していませんか? もし思い当たったら、この機会に振り返り、直してしまえばよいのです。

思い当たる節がなくても「こんな風に誤解されることもあるんだな」と他人からの目を知っておくことも重要です。あらぬ誤解をこれ以上招かぬよう普段の自分の言動に気をつける機会をもらったと捉え、あとはスルーして構いません。

悪口を言うのが好きな人間は、それだけ心がさもしい、残念かつ器の小さい人間です。

ですが、『言葉の力』は。良くも悪くも人の心に大きく影響します。

辛くなったら、本当に信頼できる人に話を聞いてもらいましょう。そんな人いない、と思ったら、独り言でも日記でも何でも構いません。吐き出しましょう。抱え込まなくて良いのです。

ただ、人に話を聞いてもらったら最後に「ありがとう」の言葉を付け加えて下さいね。

ネガティブな言葉は聞いた人の心も重くします。それでも感謝の一言で浄化されるものなのです。迷惑をかけるからと抱え込み、1人苦しみに沈むなら、誰かに聞いてもらい感謝を伝える。その代わりと言ってはなんですが、あなたもなにかあったら同じように、話を聞いてあげてくださいね。

まとめ

ここまで悪口についていろいろな角度から見てきましたが、気持ちを吐き出すこと自体は、けして悪いことではありません。

たまの愚痴・悪口は誰にでもあるもの。そしてちょっともやもやした気持ちを聞いてもらうだけで自分の感情と向き合い、浄化し、また頑張ろうという気になれるものです。

ただ、言葉は、聴覚から入り、脳(思考)に影響を与えます。悪口ばかり聞いていれば、潜在意識に刷り込まれ、徐々に心身に反映されるもの。そうならないためにもしっかりと自分を保ち、防衛する術を身につけましょう。

最後に、悪口を言われているというあなたへ。

否定的な言葉を投げかけられるというのは、本当に本当に辛いこと。身に覚えがないならなおさらですよね。

スルーしろと言われて、まったく気にせず過ごせるなんて、人はいつでもそんなに強くはなれません。苦しいときは、叫んでも泣いても良いのです、感情を外に吐き出してください。

誰にも心のうちを明かせないという人もいるでしょう。でも、あなたの言葉を待っている人は必ずいます。『どうか、無理しすぎないで。あまり頑張りすぎないでくださいね』。

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