人はいくつになっても、色々な将来の夢を見ます。
特に、仕事を始めて慣れてきた頃には、子供の頃に見ていた夢とはまた違う現実的な夢を見るようになります。
しかし、夢は「計画」ではありませんので、現実的ではあっても実現できるかというと相違が出てきます。
また、中には、年齢も仕事のキャリアもそこそこの30歳代の男性が、今から音楽の道に進みたいなど全く不可能な夢を語る場合もあります。
もちろん、どんな夢を見ようが、それは個人の自由です。
ですが、それが叶うかどうかはまた別の話で、周囲を巻き込んでしまう自分勝手な夢である場合は、諦めることも必要になってきます。
そこで今回は、区切りや踏ん切りをつけることも大事ということで、夢を諦める方法についてお伝えします。
やらない後悔よりやる後悔は、嘘
まず、夢を見ている人や、その周囲の無責任な人たちが口する言葉
「やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がいい」
これは、まったくの間違いです。
どちらの後悔も、成功に辿り着かなければ、等しく後悔します。
しかし、どちらにせよ二者択一で、1つは選択していませんので、選択しなかったものへの後悔は、どんなものであるかは判りません。
ただ、端的に物質的な問題で言えば、時間と金と労力を使っている分、「やって後悔する」方が数段大きな痛手です。
やらずに後悔する場合は、あなた自身の心の満足度の問題だけで、物質面での損はしませんし、周囲も迷惑しません。
下手をすれば「やって後悔」は、その後、人生を大きく失敗の方向へ舵取りしてしまう可能性があることを忘れないでおきましょう。
その上で夢を諦める方法は、諦めずにいることは自分だけの問題ではなく、周囲も巻き込むものだと認識すればいいのです。
夢を実現するためには、機が熟していないとダメ
「機が熟する」という言葉がありますが、皆さんもご存知かと思います。
夢や仕事の独立など、「機が熟して」いれば成功する場合は、何事も全てがスムーズにいきます。
自分自身の気持ちも乗っており、夢を実現するための弊害が何1つないはずです。
果実も熟していないと美味しくはないように、全ての物事にはそれに適した時期が設けられているのです。
例えば、あなたが今の仕事を辞めて、夢を実現したいと言った時に、強い反対にあったり、反対する人が多いのは、何においても、反対する人たちが無意識下で「機が熟していない」と知っているからです。
何かこういう言葉は、運命論的なスピリチュアルなものに感じるでしょうが、実はそうではないのです。
スムーズにいくと言うことは、周囲の人たちがあなたなら大丈夫だ、必ず成功する、と潜在意識の深い深いところで無意識に思っているからなのです。
そして、自分からの自分の評価も「機が熟している」時は、やはり潜在意識下の全く気づかない深さのところで、無意識に上手くいくだけの実力があると認識しているのです。
つまり、少しでもつまずきがあるなら、それはその夢を叶えることは無理だと言うことなのです。
夢を諦める方法として、「機が熟していない」状態では夢は叶わないものだと理解することができれば、自然と諦めることができます。
努力し夢を見続ければ成功する理論は、成功者の理論
芸能人や成功した企業経営者などから
「夢を見続けて努力すれば、夢はきっと叶う」
などといった、無責任極まりない発言が飛び交っています。
しかし、これは飽くまで成功者から見た場合の理論です。
また、彼らが道半ばで、自分自身を成功者だと評価することにも疑問を感じます。
芸能人は、一時人気絶頂でも、5年程度で忘れ去られたとしたなら、それは成功と言えるでしょうか?
また、ベンチャー企業の起業者は多くいますが、こちらも、一時億超えの売り上げを誇ったとして、やはり5~6年で負債を抱えて倒産したら成功と言えるでしょうか?
彼らは、現在の自分が「夢を諦めずに努力した結果」として位置付けていますので、今の成功が夢そのものだったのでしょうが、その終わりは考えていたのでしょうか?
芸能人も経営者も、「成功し続ける」ことを望んだはずです。
しかし、それは叶わないケースがほとんどです。
夢半ばで、全てを成し遂げたと勘違いする人間の言葉など何の意味も持ちません。
成功は、同じレベルもしくはそれ以上に成り続けてこそ意味があるのです。
つまり、成功者の死の直前の言葉だけが「真実」なのです。
もし、あなたがこういった言葉に発奮して夢を実現しようとしているなら、夢を諦める方法はそういった話は真実ではないと理解することです。
起業して上手くいく人物は、元々金持ちが多い
例えば、自分と似た年代の人が自分が思い描いている様な夢を叶えているとしたら
「自分だってできるのではないか」
と思ってしまうことでしょう。
しかし、年齢や経験、知識だけで成功は約束されるものではありません。
もし、その成功者よりも自分の方が経験も長く、スキルも数段上であったとしても、それは成功に多少近付けるに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもありません。
色々な企業を調べてみると、関東圏の都市部はともかく、地方都市の場合、成功者はかなりの率で、家に土地もしくはお金があるケースと言えます。
その地域の地主という場合は、それだけで成功は約束されます。
酷い時には、起業する業種について、知識も経験もスキルも0であっても問題なく成功するのです。
地方都市をザッと調べてみますと、初期投資の大きい企業の場合、約80%以上は地主もしくはお金持ちだと判ります。
また、地域は都市の規模が小規模であればあるほど、金持、財閥同士の癒着がすごく、新参者が入り込む余地がないことは確かです。
多くの人がこの仕組みを知ると夢を諦めてしまいますし、夢を諦める方法としてこれ以上ない理由になるはずです。
ただ、これは飽くまで企業を興すことが中心ですので、芸能人や有名人を目指している人にはあまり関係のない話です。
人生は常に二者択一
この世の中は、常に陽と陰、光と影という二面性があります。
二面性と言っても、車輪の両輪もしくはコインの裏表で、常に背中合わせです。
人の人生は、常に選択の連続の積み重ねで成り立っていきます。
くだらないことでも、一瞬一瞬、人は常時選択をしています。
その選択は時に酷であり、二つを同時に選択することはできません。
もし、あなたが今、夢を選択するなら、普通の人生は捨てなければなりません。
普通の人生を望むなら、あなたは夢を諦める必要があるのです。
もちろん、人生の先行きは判りませんので、やがては二つを手に入れることができるかも知れませんが、最初から両方を選択することはできないのです。
恋人を作り、やがて結婚し、時々は友人たちと語り合い、子供ができ幸福な生活を送ることができないと考えれば夢を諦める方法、理由としては充分ではないでしょうか。
努力はほぼ報われない
努力は報われると言いますが、努力してもほとんどの人が報われることはありません。
そもそも、報われるから努力する、報われないなら努力しないという時点で、考え方が大きく間違っています。
報われようが、報われなかろうが、できないことをやろうとする限りは、努力を死ぬまで続けなければなりません。
仕事でも同じです。
その仕事で報酬をもらうなら、報われようが、費用対効果が悪かろうが、努力する義務があります。
努力はして当たり前のことで、努力をしている人が偉いわけでも、感心なわけでもありません。
当たり前のことをしていて、報われないなら辞めるという時点で、人として大きく間違っているのです。
また、カレー屋さんのカレーの辛さのように、努力にもランクがあります。
1から10までの努力評価があって、10が一番努力したとすると、夢を追って努力したが報われないという人は100の努力をして初めて口にしても許されるのです。
つまり、常人ができる努力の10倍やってこそ夢に向けた努力をしたと言えるのです。
それ以外は、夢を実現するための努力とは言いません。
また、その評価も自己評価ではダメです。
世間の誰もが認めて初めて努力したと言えるのです。
しかし、その努力も報われるわけではありません。
そういった現実を知ることが夢を諦める方法となるのです。
これは逆を言うと、夢を諦めない人は、その現実を理解しているようで理解できていないのです。
好きこそものの上手なれ?
良く「好きこそものの上手なれ」と言い、好きなことは上手にできる、もしくはできるようになると言う昔の格言です。
しかし、好きなことを職業にするのは、余程突き抜けていない限り、良いことであるとは言えません。
好きなことには、自分のこだわりや気持ちが入ってしまいます。
しかし、それを生業(なりわい)にするということは、自分以外の買い手やクライアントが満足してナンボの世界です。
思い入れのあることを職業にすると、大抵はそれで揉めてしまいます。
また、好きなことを生業にすると、そこがゴール地点となり、成長を一切しません。
好きなことこそ趣味で留めておく、それが一番好きなことを楽しくできるのだと知れば、夢を諦める方法になります。
ごくごく一部のスポーツ選手や、売れなきゃ終わりの美術家などは、好きから夢が派生しても大丈夫かも知れません。
その夢に計画はあるかを考える
10代や20代前半であれば、夢も突拍子のないものでも良いでしょう。
しかし、ある程度キャリアも積み、年齢もいった場合は、夢も「将来設計」と同義である必要があります。
全く思い付きの甘い夢なら、今すぐに止めるべきです。
また、「民間資格」を取得して行う生業は絶対にするべきではありません。
「民間資格」は、その業種を「できる」と保証するものではないからです。
その資格自体は、何の後ろ盾にもなりません。
1~2年専門学校に通って「民間資格」を取ればできるだろうと思うのは大間違いです。
資格をあてにするなら、必ず「国家資格」を取るようにしましょう。
しかし、その程度の事も理解できていないとしたら、やはり夢を見るのは間違いだと言えます。
本来、何かを自分で社会に向けて行うと言うことは、言葉で言い表せないほど厳しいものです。
付け焼刃でどうこうなるなら、全ての人が夢を諦めないでいられるでしょう。
ですが、それではどうにもならないのですから、多くの人は結果的に夢を諦めるのです。
夢を諦める方法として、無駄な時間や金をつかって何の役にも立たないと知ることが大事です。
それでも夢を諦められないあなたへ
欲望は、抑えられれば抑えられるほど燃えるものです。
夢を語った時、多くの人に反対され、そんなものは無理だと言われれば、逆に引っ込みがつかなくなるのが、人の心理というものです。
しかし、そんな程度の意地で人生を左右するのは、バカバカしい話です。
年齢を重ねれば重ねるほど解ってくることですが、「自分が望む一番の自分」は「周囲の人たちが望む自分」なのです。
若い頃は反発心や気概があり、なかなか気づけないのですが、”自分に期待してくれる人が望む自分が、自分が一番なりたい自分”だといずれ気づきます。
その時に、周囲の反対を押し切ってまで夢へ向かった人は、心が踏みつぶされるような思いをすることでしょう。
あなたがどうなるかは、全てあなたが決めることではないのです。
なぜなら、人はこれまでも、今も、この先も1人ではないからです。
夢を諦める方法は、自分が望む自分になることではなく、人が望む自分になることこそが人生の目的と知ることです。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、区切りをつけることも大事、夢を諦める方法をお送りしてきました。
諦める方法として、最も大事なことは思考の在り方です。
どう考えるか、どう現実を見るのか、それがまさに諦めるための試金石なのです。
人や社会と関わっている限り、自分が自分で道を決めて何が悪いということにはなりません。
夢を追うことが悪い云々というより、常に自分を優先した物事の捉え方や考え方が悪いのです。
初めて✘です。何故なら、人の希望を奪う内容拡散は悪だとの価値観だから。
あえてコメ残しておきます。
匿名さんのようなご意見の方もいるのは当然です。
夢を見ることはいいことですし、
諦めないで努力することは大切ですから。
しかし私の場合、私が夢を追い続けることにより、もっとも大切であるはずの家族を苦しめることになってしまいました。
元々家族の幸せを描いて生まれた夢だったのにもかかわらず。
「夢を諦める=無念、残念」という潜在意識により、家族のことよりも自分の夢を諦めないことばかりに意識を向けて何年も暮らして来てしまいました。
結果、家族はもう修復不可能な状態。
私がもっと早く目を覚ましていればこんなことにはならなかった。
この記事を、人の希望を奪う記事だと捉えることもできますが、
必ずしもそれだけとは限らないよということも、身をもって感じます。
この記事によって救われる人生だって必ずある。