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自信過剰が成功の秘訣!? ほどよく自信過剰になる7つの方法

自信過剰

自信過剰は、本来、良い意味で使用される事はありません。

ましてや、自信「過剰」と「ほどよい」と言う言葉は本来相容れるものではありません。しかし、自信というものは必要なものです。

全く自信がなく、自分を疑いながら生きて行くのは、辛いと同時に、何かを成し遂げるにあたってベストな思考とは言えません。過剰過ぎる事をおススメする訳ではありません。

ですが、自信を持つと言うだけでは不足と言う事もあります。自信過剰はそれが適度なものであれば、いわゆる「風呂敷を広げる」と言う事に通じます。広げた風呂敷は閉じなければなりません。

そんな観点で考えた場合、程良い自信過剰と言うものは全く不必要なものであると言う断言は出来ないのです。確かに過剰では無くても自信があれば良いのではないか?と言う向きもあるでしょう。

しかし、それは飽くまで過去に積み上げて来た結果としてあるものです。未来に向けて物事を考えた場合、自信過剰と言うものはある程度必要になってくるものです。

そこで、今回は成功する為の自信過剰の在り方について説明していきたいと思います。

成功とはそもそも何を指すのか?

成功と言うものは、もちろん他者が評価を下す事が真の成功と言えますが、自己判断と言う観点で考えた場合、いわゆる「自己実現」が成功における一つの目安となります。

思い描いた自分になること、それイコール成功と言えるのです。

他者がいくら「あなたは成功者だ」と評価したところで、その時点で自己実現が果たされていなければ自分にとっての成功ではありません。

成功とは、社会的地位を築く事でも、お金を得る事でも、名声を得る事でもなく、その基準値は常に自己にある訳です。自身が成功したと思う事が出来れば、それが自信に繋がります。

その事でポジティブに物事を捉える事が出来れば、それは次のステップへの試金石となる訳です。

これは、端から見れば単なる自信過剰にしか映らないかも知れませんが、不必要な事では無いのです。

自信過剰は楽天的な思考に繋がる

自信の無い人は常に不安を抱えています。

程良く自信過剰な人は非常に楽観的です。

「石橋を叩いて渡る」事は重要ですが、「石橋を叩いても渡らない」人に成功はありません。

確かに自信過剰の人は石橋を叩く事すらしないかも知れませんが、バイタリティと言う面、行動力において、自信が無い人よりは成功のチャンスに恵まれる可能性があると言えます。

まずは、何かをしなければ、何かを始めなければ、何一つ進展はしない訳です。

確かに企業の歯車として働く場合は、謙虚であるだけで良いかも知れません。

ですが、起業をしたり、自分で何かを成し遂げる為には、過剰な程の自信と自惚れが重要な要素であると言えます。それが行動力に繋がっていくのです。

自信過剰人間はイメージの塊

自信過剰の人は、常に良いイメージしか持っていません。

言葉は悪いですが、自信故に失敗のイメージや、問題点の洗い出しなどしないからです。ですが、イメージは成功の素と言えます。

成功のイメージすら出来ない人に、本当の成功は訪れません。

何故なら、イメージできない場合、何もしないからです。

自信過剰は行動力に直結しています。

深層心理下で何を抱くのか、それが重要なのです。人間とは不思議なもので失敗のイメージ、成功のイメージはどちらにせよ心理的な側面に大きく働きかけます。

これは、漠然とした話しでは無く、例えば、身体を鍛える場合においても、成功のイメージを抱いている者とそうではない者では、身体の仕上がりに雲泥の差が出る事は実証されています。

自信過剰は有言実行でもある

自信過剰な側面を心の内や、深層心理下で留めておけばあまり意味はありませんが、それを言葉にする事は言ってみれば「後には引けない」状況を自身で作り上げる事になるのです。

この方法は、アスリートが良く使用する方法ですが、この事で自分を追い込んでいると言う側面があるのです。もちろん自信過剰なだけで恥を知らない人間には無用の話しと言えます。

ですが、恥を知る人間であれば、自信を口した時、同時に責任が発生する訳です。

そして、それを口にした途端「やらなければならない」と言う心理が強く働きます。

正にこれは「有言実行」の精神と言えます。

「不言実行」が美徳とされる日本ですが、言わなければ、成し遂げられなくても結果として誰も気付かないので、スル―出来てしまう状況が出来てしまうのです。

これは言ってみれば、自信がないから言わない、出来るかどうか判らないから言わないと言う事に通じます。

結果論として成功したとしても、それは偶然の産物にしかとられません。

恥を知る人間にとって「有言実行」ほど恐いものはないのです。そして、石に噛り付いてでもやらねばならないと言う強い『信念』が湧きます。

程良い自信過剰は、認知バイアスがかかる

人間は何らかの意思決定をする時に、必ずバイアスがかかると言う事が、心理学の世界では、当然の事として認知されています。

行動経済学においては、どちらかと言うと、論理性を排除した決定が成されます。

つまり、意思決定を行う際に、過度に楽天的になること、自信過剰になるバイアスがかかることは、常識です。

確かに、成功するか否かは、どれだけ論理的に考えても、それが実際において影響を与えるものでありません。

即ち、どれだけ完璧な準備をしたところで、不確定要素があり、かつ、未来の事を完全に論理で見通す事は出来ないと言う事です。その際に必要なのは、漠然とした『思い』です。

これは、自信過剰の人にこそ顕著なのです。

そして、統計的に見ても程良く自信過剰な人ほど成功していると言えます。但し、前提は必ずあるものです。

何かの商売をする際に、それに関するノウハウや知識がゼロだった場合、自信過剰によるポジティブシンキングだけで成功する事はあり得ません。少なくともベースは必要不可欠な事柄です。

その上での、丁度良い自信過剰が成功を生む訳です。

本当に出来る人間とそうではない人間の評価が違う

2012年に行われたバークレー大学の研究では、自信過剰気味の人間とそうでは無い人間では、テストに明らかな差があったと言います。つまり、自信過剰の人は、軒並み点数が悪かったのです。

しかし、周囲の人間の評価は、飽くまで点数を伏せた上ですが、出来そうに見える人間は自信過剰の人間だったそうです。つまり、見る側にもバイアスが掛っていると言う事です。

本当に出来る人間から見ると、自信過剰の人間の底はあっさり見破られますが、そんな人間自体がマイノリティと言え、大多数は自信過剰の人間と同等な訳です。

同等の場合、やはり自信を表に出す人間の方が「出来る人間」に見えてしまうと言う心理が働いてしまう訳です。これは飽くまで初期段階ですが、人を率いる力があると言う事です。

但し、真の力がなければ、すぐにソッポを向かれますが、人が付いてくる間に力を付けて行く方法もある訳です。

立場が人を作り上げていく

これも、心理実験を重ねた結果導き出されたものですが、「ローゼンタール効果」と言い、現実がどうあれ、上の立場の人間が期待を掛ける事で本当に優秀になってしまうと言う実験結果です。

良く世間で言われる事は、人が立場を作るのではなく、立場が人を作っていくのだと言う言葉があります。

例えば、親は子供を産んだだけでは、真の意味の親ではありません。

立場上、親だと言うだけで、その役目を完全に果たしている訳では無いのです。しかし、子供が出来れば、嫌が応でも人は親になるしかありません。

望もうが望むまいが、親としての義務があり、責任が発生します。

そうやって日々を過ごす事で、人は親になっていく訳です。会社においても同じです。

もちろん、能力があるから昇進するのですが、就いた業務は初めての業務です。その立場になったからと言って、即日その役目を果たせる訳では無いのです。

その立場に応じた仕事をしていく中で人は本物になっていく訳です。

そう言う意味でも、自信過剰気味の人は、自身の実力以上の立場に自分を置いている訳です。

まずはその立場に立つ、その事で自信過剰気味の人も後追いではありますが、その立場や自信に応じた人間になっていく可能性はあるのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

自信過剰に限らず、どんな事でも過ぎると良くはありません。

自信の無さも、あまりに無さ過ぎれば弊害になります。もちろん、自信過剰も過ぎれば、自信の邪魔にしかなりません。

ですが、自信過剰と言うのは、謙虚さも同時に持ち合わせているならば、「自分を追い込む」事に他なりません。

自信がなく前進しない人間よりは、自信過剰気味でも前進する人間にチャンスが多いのは当然です。

自信過剰を「ポジティブ」と言う言葉に置き換えれば、多くの人は受け容れてくれます。しかし、本来ポジティブな思考も、そこには何の根拠も裏付けもない考え方なのです。

結局は、自身の意識の在り方が重要であり、どんな性質であれ、どんなポリシーであれ、それを上手に昇華出来るとしたなら、どんな思考であっても建設的な考え方と言えるのです。

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